・ハノイ、ノイバイ国際空港に到着。気温は暖かく、Tシャツでも寒くないほどであった。

 

・ハノイ市内の服部先生の滞在先に1泊させていただいた。シャワーのお湯がでてこないで冷水摩擦になってしまった。初日からベトナムの洗礼をうけたと思った。

 

・ハノイ国立眼科病院の前にて。服部先生は客員教授。

 

・ハノイ国立眼科病院の薬局でティンクワンで使う散瞳剤をもらってしまう。

 


・病院の玄関に集まっている人たち。田舎にいくほど緑の帽子をかぶっている人が多かった。
 

・日本のODAにより寄付されたスリットランプで診察をする服部医師。白衣をきているのは同病院の網膜を専門とするグループの医師。症例報告の内容から、やっと網膜硝子体疾患の勉強をはじめたばかりという感じだった。

 


・ハノイ国立眼科病院の診察室前の廊下にあふれる患者さん。私がもっているのは服部医師個人所有の内視鏡機材。これを持っていれば顕微鏡がなくてもテレビさえあれば硝子体手術ができるというわけ。
  ・ハノイ国立眼科病院の硝子体専用の手術室の棚。いいものが何も無い。

・ハノイ国立眼科病院:次の手術を待つ患者さんが廊下にねかされている。ドアの外には、患者さんがあふれるほど待っている。

 

・ハノイ国立眼科病院の院長Dr.Hon。唯一一人で任せられる硝子体手術の執刀医だとか。顕微鏡はズームがこわれていて、内視鏡の画像は左1/3が見えないまま手術をおこなっている。

 

・ハノイ国立眼科病院:突然の停電。よくあることとのこと。15分程度で回復したがその間なにもできなくなり、患者さんもスタッフもただ壁にもたれかかるだけ。

 

・ハノイ国立眼科病院:停電で内視鏡、顕微鏡、硝子体手術装置、血圧計の電源がすべて完全に落ちてしまいお手上げ状態。なぜかレーザーだけがUPSがついていて生きている。

 

・ハノイ国立眼科病院:看護師さんと。ベトナムの女性はみんな小柄でやせている。やや色黒。髪はほとんどの人が染めていず、黒髪が多い。田舎へいくほどストレートで背中の真ん中まで伸ばしている。新鮮できれいに見えた。

 

・ハノイ市内。圧倒されるほどバイクが多い。それと車と自転車と歩行者と。すべてがごちゃごちゃになりながら警笛があちこちでひっきりなしになって、とてもではないがそのなかを一人では運転できない。

 

・後ろがみえないほど資材を満載してハノイからティンクワン市へ向かう。Dr.Hungの車はもともとパンクをしていたらしく、2cmほどの裂かれたような傷があり、そのほかにもタイヤの内側にパッチが2箇所すでに貼り付けてあった。

 

・ハノイ市内。このような光景は別に珍しくない。

 

・ハノイ市内。先頭付近のバイクは3人しか乗っていないが、子供を間にはさんで5人家族全員で2人乗りのバイクに乗っているのをよく見かけた。12月からヘルメットの着用が義務付けられるというが、到底徹底できないと思われるぐらい、ほぼ全員ヘルメットはつけていない。

 

・ハノイからティンクワンに向かう道路。

 

・写真には撮ったがこれも別に珍しくはない。

 

・鶏を運んでいる。

 

・前の車はテールランプが消えているが、帰りに送ってもらった病院の車は前方のメインのライトが切れたまま上向きのライトとハザードを点滅させながら夜中の170キロをティンクワンからハノイに帰ってきた。運転手は警笛を鳴らしまくりながら悪路をぶっ飛ばしていたが、手術であまりにも疲れていて服部先生ともに後半は爆睡で覚えていない。事故にあわずによかった。

 

・ティンクワンのコミュニティーセンターの中の宿舎に泊まった(無料)。政府や要人などの利用のための施設と聞いた。

 

・ティンクワンのコミュニティーセンターのシャワーとトイレ。仕切りが無いからシャワーでトイレがびしょびしょになる。だから手前の草履が必須アイテム。

 

・ティンクワンのコミュニティーセンター:大事な人を接待するときに出すという魚。撮影したときには趣味で飼っていると思ったが、最後に焼かれてでてきた。

 


・ティンクワンの病院。施設は大きく立派に見える。

・ティンクワンの病院。着くと廊下に80人の手術予定患者さんとその家族があふれていた。手前右がハノイ市内のテレコム病院眼科部長Dr.Hung。手前左はハノイEホスピタル眼科のDr.Hoa。

 

・ティンクワンの手術室。とにかく英語が通じないから、手術のまえに入念に準備をして、指差しで道具をとってもらうしかない。日本からもっていったハイテク材料をならべていく。持っていった白内障の手術装置はソブリンコンパクトとプレステージ。どちらもコンパクトで持ち運びに好都合。性能よりこれが大事!

 

・ティンクワンの手術室。私が使うことになった白内障手術装置のソブリンコンパクトと顕微鏡のOM5。台が稼動ではないので、左目は左手、右目は右手で手術をしろという。手術環境にわがままはゆるされず、あるものに自分を合わせなければならない。

 

・ティンクワンの手術風景。救後麻酔をされ、ぱんぱんになった目が第一症例だった。年齢は若くアトピーで白内障はPSC主体。水晶体は吸えるだけだったが、緊張がつよいこともあり、粘弾性物質をいれても押し出されてしまい、第一発からCCCが流れる。アウェーの厳しさが最初から襲ってくる。

 

・ティンクワン:待っている患者さん。

 

・ティンクワン手術室:ちょっと表情が緩んでいるので、いつもと違う機械や顕微鏡などの感覚をつかんできたころか。IOL(眼内レンズ)と何回言っても通じない。「トゥエンティティン」というと通じるはずなのだが、私の発音が悪くて助手以外最後まで分かってもらえなかった。看護師に声をかけようとして「エムオー」と言ったら、振り向いてくれなかった。その直後みんなに笑われ何かと聞いたら、若い女の人に「エムオー」と言うんだとか。私が声をかけたのは明らかにおばちゃんだった。

 

・ティンクワンの手術室:Dr.Hungにいい方の顕微鏡をとられてしまう。使い捨てのドレープは無く、うっすーい白い布にテガダームを貼る。しかし、手術の最後にはすべてめくれて目のうえに倒れこんでくる。

 

・ティンクワンコミュニティーセンターにて。左からティンクワン病院の副院長で眼科医師Dr.Tha。服部匡志先生、ティンクワン市副議長Vietさん、私、ティンクワン市保険局Mr.Thai

 

・ティンクワン病院正面。見た目だけはよさそう。

 

・ティンクワン病院正面玄関の外には崩れそうな家。

 

・ティンクワン病院手術室。どこかの取材が入った。私はそんなのかまってられないという状況。でも取材は大事と服部先生はちゃんと応対。

 


・ティンクワン病院手術室。私は白い布でできたドレープのあまりの使いにくさに最後は頭にきて、服部先生には「非常用にとっておいてくれ」といわれていたが、自分が日本から持っていったドレープを使い出してしまった。このころ下痢が始まり、時々波のように襲ってくるものに耐えながらの手術になった。

・ティンクワン病院手術室。われら安藤眼科が自慢の目を洗うための道具(通称プシュプシュ)。Dr.Hungはこれはいいとすべて洗って持って帰った。服部先生はDr.Hungは知らないうちになんでも持っていってしまい、彼の病院にいくとそこにあるので聞くと「借りている」と言うらしい。そういえば、私の持っていった球後針が一つ見当たらない。。。

 


・ハノイ市内:こんな店に一度は入りたかったラーメン屋。リユースの割り箸をディスポの紙ナプキンで拭くことが食事の最初の儀式らしい。でもなぜ拭かなければならないのか。。。

・ハノイ市内:こんな店に一度は入りたかったラーメン屋。入り口の一角で調理。上に乗って出てくる肉は生なので、厚いスープの中に入れなおして煮てから食べるように教えられた。→厳重に煮た。

 

・ハノイ市内:服部先生は取材用に笑顔がすぐできる。

 

・ハノイ国立眼科病院で執刀する服部医師。「ばっちゃんぼんちゃんばっちゃん」と言うと、レーザーを「Power300Duration400Interval300」に設定してもらえる。「~チャン」は100を意味するらしい。

 

・ハノイ市内:信号がグリーンになるとともに一斉に迫ってきたバイクと車。

 

・ハノイ市内:もうちょっとで崩れそうな建物。電線も束になって木に引っかかっているという感じ。

 


・ハノイ市内:すべてがごちゃごちゃ。
・おじいさんが日本人で第二次大戦で日本に帰らずベトナム人と結婚し、そのお孫さんにあたるHoaiさん。ハノイ大学で日本語を勉強し、日本語はぺらぺらで、服部医師の秘書代わりになっている。それ以外にも日本の要人がベトナムに来るときなどにも接待の手伝いなどをしているとか。


・テレコム病院の手術室:硝子体手術はマシンは最高速800回転しかでない何世代か前のもので奈良県の永田眼科より寄付されたもの。通常硝子体手術は服部医師が行ったときのみ行っている。レーザー、内視鏡とも小さいものを選択。持ち運びできるかがとても大事!

・ハノイ市内の半官半民のテレコム病院。Dr.Hungが眼科部長。ボシュロムのマシンでLASIKを年間500例行っている。費用は両眼で$1000だとか。

 

 
・テレコム病院で硝子体手術をする。増殖糖尿病性網膜症に伴うエピセンターからの硝子体出血だった。顕微鏡はカールツァイス、白内障のマシンはインフィニティーとハノイでは近代的。